ベルリンは、歴史的にも様々な出来事の舞台となった場所でもあります。
ホロコースト、 ナチス政権体制、東西ドイツ統一。
観光的な面だけでなく、歴史に対してどのように対峙する姿勢であるかが感じられる都市として、ベルリンはその最たる例だと思います。

目次

2711基の慰霊碑は何を語るのか

ベルリン中央駅から国会議事堂を越えたその先に、その慰霊碑群は建てられています。
起伏のある土地の上にブロックタイルが敷き詰められ、その上に様々な高さの石碑が並んでいます。

感じたこともないようなその異質な空間に並んでいるのは、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑である。
無機質なその石碑は、死者を弔う墓地とは異なり、悲しみや辛さの感情だけでなく、世界中の様々な議論のきっかけになっています。

高さが最大で4.5m近くある石碑が一面に広がる無機質な広場。
石碑の数は2711本

コンクリートのような石碑の間を縫うように歩くことができ、低い石碑の上に座っている人もいました。
意外にも触ると、不思議な弾力があります。
格子状の空間を歩くと、その数と広さを感じ、いかに多くのユダヤ人の命を奪われたかを体感的に感じることができ、言葉にならないような感情が生まれました。

ホロコーストに対して、これまでに多額の賠償金を払ってきたドイツ。
そんな国の中心地にこの記念碑の広場があることは、果たしてどういった意味をもつのでしょうか。

ちなみに、あるところから地下へと続く階段があって、地下は記念館となっているのです。
(写真は撮れませんでした…)
ホロコーストに関する暗い記憶を呼び起こすような展示が数多くありましたが、逃げずに真正面から歴史に向き合っている感じは、日本に通じる部分もあるのかな、と感じました。

記憶を媒介する建築(ベルリン・ユダヤ博物館)

続いて訪れたのはベルリン・ユダヤ博物館

『今日は暗い記憶の建築尽くしやね…』
「そうやな、ちょっと楽しげな建築見学でも挟んどく?」
“いや、今日1日で見切って、明日から切り替えよ!”

ということで、気を取り直して博物館へ。

ダニエル・リベスキンド設計のこの博物館は、金属パネルの外観に、スリットがランダムに刻まれ、ガラスも織り交ぜられたデザインなので外からはかなり目立ちました。

実は、リベスキンドはホロコーストの生き残りの子供なんだとか…
考えれば考えるほど、意思が紡がれた建築なんだなと、入る前から実感していました。

中に入ると、まず最初から地下へと階段がつづき、少しずつ暗がりの空間へと誘われているいるような建築体験。
打ちっぱなしのコンクリートの無機質な感じが際立ち、天井も高いが故の空虚感もあり、展示だけでなく建築自体がホロコーストの記憶を残す媒体なんだと感じました。

暗い記憶の展示が終わると、突如明るい屋外空間に出られ、そこには広場で見た記念碑のさらに高いブロックがありました。
戦争の終結と明るい未来が感じられつつも、決して消え失せない歴史的な問題と記憶の存在を建築を通して感じられます。

ホロコーストの足音

ベルリン・ユダヤ博物館の中でも、最も有名な展示ではないでしょうか。
一つの空間に、人の顔をした大小の鉄製のプレートが敷き詰められています。

プレートの上を歩くと、気積のある空間に「ガシャッ、 ガシャッ」という高い金属音が響き、ユダヤ人が泣き叫ぶような、ホロコーストの悲惨さを暗喩的に感じます。

上を見上げると、明るいけれども決して出られない、コンクリートに囲まれた青空が。
そのまま下を見ると、口を大きく開いた顔のプレートが。

展示の発想に敬意を表しつつ、他人事だと思っていた他国の抱える問題を少し感じられた気がして、本当に来てよかったなと思いました。

スポンサーリンク